まいど、おおきに!Bom Dia!
あと2週間後にサンパウロでの中間報告【1年間の活動をJICAに報告する会】を控えている人!
ブラジル在住の ハマヤネン(@HamayaneN_01)です!
今回の記事はいつもと違います。
日系社会ボランティアには様々な職種のボランティアが集まっているわけですが、その中でも今回はブラジルで野球を教えている野球隊員の紹介をしたいと思います。
ハマヤネンと同じパラナ州に住んでいる野球隊員です。
まぁ、同じ州といえども彼はクリチバという州都に住んでいて街の規模が全然違うんですが!(嫉妬)
クリチバでの研修で会う機会があり、たくさん話して仲良くなった波平ちゃんです!
彼の帰国報告を聞いた時に、すごい考え方!
○野球の技術向上云々よりも、子どもたちの健全的な育成を最終的な目標に置いてるところ!
○野球は人間的な成長をもたらすための手段でしかない!等
をもって、ボランティア活動を行ってるなと思ったので
思い切って!!! 原稿依頼!
と返事をくれました。
と言うことで今回は2016年1次隊 野球隊員 ”八倉 波平くん”の活動を紹介したいと思います。
自己紹介
皆さん初めまして。
JICA日系社会青年ボランティア2016年度1次隊として、この6月までブラジル国パラナ州都クリチバ市にある日系人団体クリチバ日伯文化援護協会日系クラブで野球隊員として活動しておりました
八倉波平【ヤクラナミヘイ】

と申します。
生まれは多くの日系ブラジル人の方々が生活する静岡県牧之原市です。
なぜかというと!両親が海好きだったからです!

この名前を与えられたおかげさまで、名前を呼ばれるたび必ずウォーリーを探せならぬ
“波平を探せ”がはじまったり
自己紹介すると「んで本名は?」と言われたり色々苦労はしました!
今ではすぐに覚えてもらえるこの名前に愛着がありますし、この名前をつけてくれた両親に感謝しています!
実家は海岸から10分の距離のところへ移り住み、グアムには10数回行きました。
そして、そんなにグアム行ってるの芸能人ぐらいやで!
志望動機
高校までは静岡で生活しました。大学進学に伴い、4年間大阪で生活をしました。
高校時代の恩師の先生に憧れを抱き、将来は学校の体育教師になりたいと考えていました。
しかし、大学3年生の後期に心境が変化しました。
在学中大学野球部の主務(マネージャー)として活動し、メーカーさんなど一般企業等で大活躍されている方々と関わらせて頂く中で、
自分自身の小ささ・弱さ・無知さを感じたのでした。
果たしてこのまま安易に先生を目指していいのか?
自問自答しました。
その時、幼いころ母がしきりに口にしていた「海外に出なさい」という言葉が何度も頭に浮かびました。

ある日JICAボランティア募集の張り紙を見た時に、これだと思いJICAボランティアに挑戦してみようとなったわけです。
JICA合格までの道のりは順調だった?
順調とはいえませんでした。
実は、春募集では僕はウガンダの体育隊員を志望していました。
けれど!経験不足を指摘され不合格でした。
そこで秋募集では下手くそなりに大学まで続けてきた野球隊員で応募しました!
合格!!!
そして、ブラジルに派遣されることになりました。
ブラジルでの活動を通し、かけがえのない経験をさせて頂き価値観が広がり、一生の仲間に出逢うことが出来ました。

任地と要請内容
任地【パラナ州クリチバ市】について
僕の任地であるブラジル南部に位置するパラナ州都クリチバ市は、兵庫県姫路市と姉妹都市提携を結んでおり、人口約200万人を有する大都市です。
⬇ 場所はこちら ⬇
約3万人の日系人が生活し、サンパウロに次ぐ日系コミュニティーです。その他イタリア系やドイツ系をはじめとする欧州系の移民が多いのが特徴です。
また、ヒト中心の先進的な都市計画を有し、世界で初めてBRTシステム【バス・ラピッド・トランジット】を導入したことで有名です。
日本語ではバス高速輸送システムとも呼ばれます。

☝BRTシステムで使われているバス

☝バスの乗り換え駅
農業移民としてブラジルに渡った中村矗氏が主導した緑地政策でも著しい成功を収め、100以上の公園が市内の至る所にあります(中村氏の業績についてはhttps://youtu.be/k2GoNFeHuEUを参照されたし)。
いわゆる私たち日本人がイメージしがちなブラジルのイメージ(サンバ・アマゾン・一年中夏、、、)とは少し違った都市かもしれません。
クリチバの街の様子を写真にて紹介します!

☝Museu Oscar Niemeyer【有名な美術館】

☝都市スペースの使用例としてあげられている『Parque Tangua』

☝Jardim Botanico【植物園】
ラテンアメリカで最も清潔で美しい町のひとつと称されるだけのことはあるなぁ!
配属先について
配属先であるクリチバ日伯文化援護協会日系クラブは、クリチバ市において日系社会の文化(日本語・日本舞踊・和太鼓・祭りの開催)・福祉(学生寮)・スポーツ振興(野球・ソフトボール・テニス・水泳等)の中枢機関としての役割を果たしています。


日本で近年必要性が叫ばれている、「総合型スポーツクラブ」をイメージして頂ければ分かりやすいと思います。
要請について
要請内容については、日本の最新の野球理論と基本に忠実な技術指導の基にした選手育成と同僚への進言を目的にボランティアの派遣要請がなされました。
・選手の技術力向上
・指導者のサポート
・日本の最新の練習方法の紹介
・練習計画の立案
が事前に書面にて要請された内容です
(実際には違うことがあったりなかったり、、、)。
活動紹介【前半】
2016年7月赴任してから年末まで13・14歳チームの監督として活動しました。

言葉・文化も分からない!
指導力もない!
道具もない!
選手も9人居ない!(最終的には9人ぎりぎり)
何もかもないないの状態からのスタートでした。
やりたいこと・必要なことよりできること中心の練習になっていた気がします。
また、研修期間に良く言われた「3か月は様子見」という言葉に囚われすぎたとすごく感じています。
今でもこの時の生徒たちには申し訳なく思うことがあります。
何を彼らに伝えられたのだろうか、もっとこうできたんじゃないかと感じたりもします。
この苦楽を共にした生徒たちの担当は翌年から外れたわけですが、日々の練習の様子や大会での結果を逐一報告してくれる彼らに少し救われた気になりました。
私が赴任した当初の配属先はチームとしての統一された育成目標が設定されておらず、各指導者のその場の判断で指導が行われていました。
野球部責任者と話し合い、チームとして一貫性・継続性のある指導を実現するためにコーディネーターのポジションを創設し、全体のマネジメントをすることとなりました。
2017年度は特定のチームを監督として持つことはなく、コーディネーターの一人として全体を統括する立場で活動しました。
・指導者間の情報共有を目的に月に一度指導者会議の開催
・不定期でマネージャー会議の実施
・選手の身体能力の把握を目的とした年三回体力テスト実施
・選手自身の目標設定と振り返り(PDCA)を促すため野球レポート導入
・野球の普及活動(学校訪問、クリチバ市保健体育科教員向け講座)
・全年代の選手における日々の練習のサポート
この一年間を振り返ると
? 自分には何が出来るのか ?
? 何が配属先の為になるのか ?
? JICAボランティアの存在意義とは何なのか ?
自問自答の日々でした。
人をまとめることの難しさを感じ、やりたいこととやれることのギャップに苦しみました。
後悔、後悔、後悔の一年でした。

活動紹介【後半】
2018年は帰国まで半年しかないため、2017年度同様コーディネーターとして活動することになると考えていました。
正直、このまま後悔だけを残し帰国することになるんだと覚悟していました。
2017年末、責任者から連絡があり
2018年の帰国までの半年の間、9・10歳チームの監督として活動してほしいねん!
と打診がありました。
私は、帰国まで半年しかないことを理由に打診を断りました。
二回目の打診も同じ理由で固辞しました。
しかし!
三回目の打診で
と言われました。
ここまで何もできていなかった1年半が少し報われた気がしました。
正直心が震えました。

そこまで言って頂けるならと引き受けることにしました。
結果論に囚われず、子ども達の心技体の成長を目標に活動しました。
その中でも特に「時を守り・礼を正し・場を浄める」といった規律・ひたむきに取り組む姿勢を重んじて活動!活動!活動!

練習ごとに伸びる、生徒たちの心身の成長にはすごく驚かされ!

去年までの混沌とした日々とはうって変わり!
毎日グラウンドに行くのが楽しみで仕方ありませんでした。
彼らには本当に感謝しています!

☝9歳・10歳のカテゴリーの選手たちと大会後にパシャり!
また、去年から行っていた野球の普及活動では
クリチバ市教育委員会のバックアップを受け再びクリチバ市の保健体育科教員向け講座を行うことができました。

☝クリチバ市の保健体育科教員の皆さんと!

☝野球教室で楽しく学んでいる現地の保健体育科教員!
学校訪問では6校もの学校で行うことが出来ました。

☝学校訪問をした子どもたちと野球の授業後にパシャリ!

☝ベースボール型のゲームに取り組む子どもたち!
学校では男女関係なく夢中になって野球に取り組む子ども達の姿に出会うことができました。

☝軟式ボールと硬式ボールの違いについて説明中!

☝初めて手に取るバットに興味津々!
先生方や子どもたちに野球を普及する活動を通して、誰かに何かを伝えることの楽しさを実感することができました。
二年間のボランティア活動を振り返って
二年間を振り返って決して順風満帆ではなかったと思います。
赴任から1年半は本当に何もできなかったと後悔しています。
しかし、残りの半年の任期は打って変わって本当に充実したものでした。
大学野球部時代、そして今回の二年間を通して発見した理論があります。
その名も「2/3理論」
最終的に何かをやり切るときの初めの2/3の期間は悩み・葛藤・後悔ばっかりかもしれません。
しかし!
そこでの取り組む姿勢は必ず、人の目に留まり、信頼を得て助けてくれる人が現れたりします。
そして、なんだかんだうまく行っちゃうんですね。

また、同じような話ですが一時期悩んでいた時に、語学の先生に教えてもらった
「A Jornada do Herói(ヒーローへの道のり)」
というお話があります。

何かを始めた時には、注意・集中しているからそこそこうまくいったりします。
しかし、しばらくすると色々な問題が発生し、何をしたらいいのかと悩み苦しみます。
そしてそんな時、経験豊富な人と出会い、アドバイスを受け、新たなチャレンジをします。
すると!
物事がうまくいっていくというお話です。

☝25歳の誕生日をグランドで祝ってもらいました!
この「2/3理論」と「A Jornada do Herói」を胸に、辛抱強く生きていこうと思います。
シンガーソングライターの高橋優さんの「福笑い」の一説に
「きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」
というものがあります。
私は、二年間のブラジル生活を通して人として大切なものは、いつでもどの世界・国でも不変だと気づきました。
☆ 人・仲間を思いやる気持ちを持つこと
☆ 時間を守って行動すること
☆ 物を大切にすること
☆ 人を愛すること
☆ 食べ物も粗末にしないこと
☆ 感謝すること
☆ 笑顔であること
☆ 挨拶を率先してすること
☆ 常に夢を持つこと
これらをいつでも体現できる人でありたいです!

☝試合前に行ういつもの円陣!
これからについて
最終的・職業的目標は地元静岡で中高の保健体育科教員になることです。
しかし、その前にしたいことが沢山あります。
例えば、2019年に野球BCリーグ(いわゆる独立リーグ、一種のプロ野球)に本加盟予定でブラジルや日系社会との関わりがコンセプトにある静岡県民球団の設立・運営に関わりたいと考えています。
また、東京オリンピックにも関わりたかったり、、、、、。
様々な経験をして
「面白い」先生

になりたいなと考えています。
そして、多様な価値観を理解でき、視野の広い生徒を育てたいと考えています。
二年間お世話になりすぎたブラジル、地元の日系社会に
何らかの形で恩返しがしたいと考えています。
おまけ
日本の野球とは体制やルールが違うブラジル野球の説明
○カテゴリー分け、球数制限(一日当たりの)
年齢 | 各年代カテゴリーの呼び方 |
---|---|
~8歳 | T-Ball(‐) |
9・10歳 | Pré Infantil(50) |
11・12歳 | Infantil(60) |
13・14歳 | Pré Junior(75) |
15・16歳 | Junior(75) |
17・18歳 | Juvenir(105) |
~21歳 | Sub21(‐) |
22歳~ | Adulto(‐) |
・ランナーリード禁止 【ただし、離球後離塁可】
・牽制なし
・ランナー3塁の場合
・振り逃げなし(打撃時のみ走可)
・スクイズ禁止
※球数制限などはアメリカの影響を強く受けている
野球用語をポルトガル語で紹介!
野球の用語をポルトガル語で紹介します。
日本語 | ポルトガル語 |
---|---|
野球 | yakyu もしくは beisebol |
指導者・審判 | sensei |
打つ | bater |
打者 | rebatedor |
捕る | pegar |
走る | correr |
守る | defender |
守備 | defesa |
ボール | bola |
バット | bataもしくはtaco |
グローブ | luvaもしくはglove |
ユニフォーム | uniforme |
ベルト | cintura |
帽子 | boushiもしくはboné |
盗塁 | toruiもしくはroubar base |
牽制 | kensei |
バント | bunt |
スライディング | suberi |
ヘッドスライディング | peixinho |
キャッチボール | catch ball |
野球用語の中には、日本語がそのまま使われている【赤表記】ものもありますね!
終わりに
2年間という活動を積み上げた先輩隊員のお話は本当に重みがあります。
2年間という期間の中で、悩みながらもガムシャラに活動してきた波平ちゃんの活動の輝跡を見ることができ本当に勉強になりました。
自分もふと
”なんでブラジルに来たんやろ?”
”JICAボランティアの必要性ってなんなん?”
と思うことがあったので、波平ちゃんも同じようなことを考えたことがあったんやとわかり安心しました。
自分の任期も残り9ヶ月と少なくなってきました。
後悔しないように活動に取り組んで行かなければ!
記事を読みそう思わされました。
快く記事の奇稿をしてくれた波平ちゃん!
Muito obrigado!
この何気無い活動中の写真が好きすぎる!

最後まで読んでいただきありがとうございました!
チャオチャオ!